☆ The First Angel ☆ 1.




慣れない夢から覚めたあたしは、しばらくベッドの中で気を落ち着かせていた。
ふと、キッチンからおいしそうなコーヒーの香りが漂ってきた。
ところがその香りは、後からくる焦げ臭い匂いにかき消されていく。
その異変にあたしはベッドから飛び出し、ナイトガウンを着て、キッチンへと繋がる階段を駆け下りた。


「ジェシー、まさかジョーに……。」
『フライパンを持たせていないでしょうね。』と言おうとしたあたしは、その場で凍り付いた。
スーツを着たジョーが、カウンターでゆっくりとコーヒーを飲んでいる。
そしてその奥のコンロには、もくもくと煙を吐いているフライパンの姿があった。
「ちょっ、なにしてんの、ジョー!?」
「何って目玉焼き作ってるのよ。あ、サラも食べる?」
急いでコンロの火を止めるあたしに、ジョーはのんきに聞いた。
「なんか焦げ臭いけど、もしかしてまたジョーか?」
ネクタイを結びながら、ランドリールームからジェシーが飛び出してきた。
「ジェシー!もうっ、ジョーを放火魔にさせたいわけ?」
「いや、そんなことは思ってないけど……。あーあ、また新しいやつ買わなきゃな。」
ジェシーはフライパンの成れの果てを見て、困ったように頭を掻いた。
「何よ、二人して。私だって料理くらい作れるわよ?」
そう豪語するジョーを、あたしとジェシーは「それじゃこの黒こげのフライパンは?」と目で訴えた。
「こ、これはついよ、つい。それよりジェシー、もう支度はすんだの?」
そう言うとジョーは、逃げるように洗面所へ向かっていった。
この様子だと、次のフライパンの命も長くはないだろう……。


「それじゃ行ってくるわね。連絡先は電話の横よ。」
「わかった。勝てるように祈ってる。」
「ありがと。」
ジョーはあたしの頬に軽くキスをし、あたしはジョーにいってらっしゃいのハグをする。
しかし突然、ジョーは今にも泣き出しそうな顔つきになった。
「やっぱり行くのやめようかしら。」
「なに言ってんのよ、今更。心配しないで、あたしもう16だよ?それに、もう大丈夫だから。」
しかし、ジョーはうつむいたままだ。あたしは軽くため息を吐くと、からかうように腕をつついた。
「あーあ、優秀な弁護士さんの顔が台無し。ボストンで本領発揮できなくても知らないから。」
あたしの言葉にムッとしたジョーだったが、すぐにニヤッと笑ってあたしにデコピンをした。
「タクシーが来たぞ。もう出発できそうか?」
外でタクシーを待っていたジェシーが、中に入りながら言った。
その言葉にうなずくと、ジョーはもう一度あたしを抱きしめ、外に出た。
「本当に大丈夫?」
荷物をタクシーに詰めているジョーを確認すると、ジェシーは心配そうに訊いてきた。
「不安じゃないって言ったら嘘になるけど、でも大丈夫。ありがと。」
あたしは精一杯の愛を込めてジェシーにハグをした。
「それじゃ、行ってくるよ。お金は金庫に入ってるからね。……ハメ外すなよ?」
「わかってる。そっちも頑張って。」
苦笑しながら言うあたしにウィンクをして、ジェシーもタクシーの方に向かっていった。


ジェシーが作っておいてくれた特製オムレツをたいらげると、あたしは支度に取りかかった。
これから一週間、ジェシーの料理が食べられないのはちょっぴり惜しい。
あたしは、7年前に両親を亡くしてから叔母夫婦とここ、シカゴで暮らしている。
あたしには双子の妹がいたが、その子も半年前に事故で死んだ。
叔母夫婦や親友達のおかげで立ち直れたはずなんだけど、未だにあの夢を見る。
まるでタイムスリップしたかのように、自分で自分の過去を追っていく夢。
このことは誰にも言っていない。彼らを心配させるだけだから。
思い出しそうになった頭を振り払い、あたしは鞄を持って階段を駆け下りた。
「それじゃ行ってくるね、パパ、ママ、セーラ。」
暖炉のマントルピースに飾ってある家族の写真に投げキッスをすると、あたしは騒がしい朝の路地へ飛び込んだ。



「おっす、サラ!」
学校のロッカーから教科書を出していたあたしの背後で、誰かが声をかけた。
そいつは、あたしの自慢のふんわりとしたブロンドの長い髪を、わしゃわしゃと乱していく。
「ちょ、ちょっとニック!もういい加減にしてよ、毎朝人の髪の毛ぐしゃぐしゃにするのっ。」
乱された髪を必死になって手櫛で直しながら、あたしはいたずらっぽい笑顔の少年に抗議した。
「そんな変わんねーじゃん。それより観たか、昨日のバスケ!やっぱブルズだよなー。」
「なに言ってんの、レイカーズでしょ?」
「今はブルズの時代なんだよ。」
「なにそれ、意味わかんない。」
「おはよ、二人とも。」
ニックとあたしが言い合ってると、背が高くて賢そうな顔をした男の子が声をかけてきた。
「おはよっ。」
「おっす。な、ベン。バスケはやっぱブルズだよなっ。」
「いーえっ。レイカーズよね?!」
挨拶をするなり、あたしとニックはベンに詰め寄る。
「え、何、急に。あー……サラには悪いけど、やっぱり僕もブルズかな。」
いきなりの質問に少し驚きながら、ベンは答えた。
「だよなっ。さすが俺の親友!」
「なによ、ベンのバカ。」
あたし達に苦笑いを向けながら、ベンは口を開いた。
「そういえば、数学の宿題やってきた?結構難しくて大変だっただろ。」
「……。」
「……。」
ベンの言葉に、頭の中が真っ白になっていくあたしとニック。そして……。
「お願い、ベン!ノート見せて!!」
「頼む、ベン!借りは必ず返す!!」
こうして、あたしの学校生活は始まるのだった。


ベンはその後、あたし達のためにならないと言い張り、ノートを写させてくれなかった。
おかげであたしとニックは先生にこってり叱られ、宿題を2倍出されるはめになった。
「ったくよー、ベンもあの先生も頭かてーよな。」
「ほんとほんと。」
「だからいつも言ってるだろ。自分でやんなきゃ意味ないんだってば。」
バスケットボールを人差し指でくるくると回しながら言うニックと、ニックに同調するあたしを、ベンは諭す。
「それよりサラ、今日も見てくだろ。練習。」
ニックは、回していたボールをパンッとキャッチして話題を変えた。
「ごめん、今日は行けない。買い出しに行かなきゃ。」
「あ、そっか。今日からだっけ、二人の出張。」
「そ。」
ニックとベンは、あたしの家の事情をよく知っている。いつも支えてくれる大好きな親友だ。
「お前はどうする、ベン?」
「僕は家庭教師のバイトに行かなきゃ。」
「つまんねーの。誰も俺の勇姿を見たくないってのか?」
「なにが勇姿よ。どうせベンチのくせに。」
「もうすぐレギュラーの予定なんだよっ。」
あたしにからかわれたニックは、負け惜しみを言う。
こういう時間が、あたしはとても好きだ。二人といると不思議と元気になれる。
「わーすごーい。頑張ってー。」
「任せとけっ。」
あたしの棒読みに気付かずガッツポーズをするニックに、あたしとベンは顔を見合わせ苦笑した。



「ただいまー。」
買い物袋を片手に、いつもの口癖を発しながらあたしは裏口から家の中に入り、袋をテーブルに置いた。
返事は返ってこないとわかっていながらも、つい口に出してしまう挨拶。
あたしは自分の失敗に肩をすくめて、買ってきた物を冷蔵庫や保管庫に入れようと、袋の中に手を入れた。
ところが……。
「おかえり。」
聞き覚えのある声に、あたしは音を立てるのも忘れてしまったかのようにその場で固まった。
鼓動がどんどん早くなる中、あたしは恐る恐るキッチンの向こう側にあるリビングのソファへ、目を向けた。
そこには、ほのかなピンク色のオーラに包まれた少女がちょこんと座っていた。
後ろ姿からでもすぐわかる。
あの子は――。
「セー……ラ?」
あたしの呼びかけに、その少女はゆっくりと振り返り、笑顔を向けた。
「おかえり、サ…」
「ぎゃあーー!!出たーー!!」
セーラの言葉を最後まで聞かずにあたしは叫び、その場に縮こまる。
その拍子に買い物袋が横に倒れ、中から果物が飛び出してきた。
あたしは幽霊が大の苦手なのだ。
そんなあたしの態度にセーラはムッとし、口をとがらせた。
「ちょっと落ち着いてよっ。幽霊じゃないわよ、失礼ね。これが見えないの?」
そう言って、セーラはあたしに背中を見せた。そこについていたのは……。
「つ、翼……?」
「そ。私、見習い天使になったの。」
セーラは、にっこりとそう言った。




というわけで、セーラが戻ってきました。
展開早すぎですね(汗)許してください。
次回に続きます。